- JLogos検索辞書>
- 上八木村(近世)とは
「上八木村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
上八木村(近世) 江戸期~明治7年の村名但馬国養父【やぶ】郡のうちもと別所重棟氏の八木城下,慶長5年廃城後城下に農民が移住して上八木・中八木・下八木・今滝寺村などが成立元和7年免状写には八木上町と町名で記されている八木川中流域,南北を山に囲まれる幕府領村高は,寛政元年村明細帳では304石余うち田207石余・畑62石余・無高地17石余ほか,「天保郷帳」305石余寛政元年の村明細帳によれば,家数53・人数203鎮守は,三宝荒神(現三柱神社)同社境内に西宮明神(現西宮社)があり,同社は摂津国西宮神社から直接勧請した但馬唯一の神社といわれ,1月10日が祭礼日そのほか若宮明神などの境内神社がある寺院は,真言宗琴引山西方寺同寺は現三柱神社と同一敷地内にある明治7年八木村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
上八木村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
上八木村(近世) 江戸期~明治12年の村名愛知【えち】郡のうち現在の秦荘町大字軽野【かるの】の一部地名の由来は不明であるが,旧郷社八木神社は旧八木荘村13か村の総社であった江戸期を通じて彦根藩領村高は江戸期を通じて218石余(元禄郷帳・天保郷帳・旧高旧領)元禄8年の人口は119明治5年滋賀県に所属同12年3月南蚊野【みなみかの】村と合併して愛知郡軽野村となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」